【言葉を紡ぐ】伝え方をボールに例えたら

私の実家は自営業で

小さい頃から祖父に連れられて

取引先へ同行していた。

 

外で働き始めてからは

長年接客業を務めた。

 

人と接すること

それは

生きる基本なのだけれど

 

当然上手くいかないこともある。

 

私は、いつしかそれを

苦手だと「勘違い」していた。

 

でも

今になって

あれ?そんなことないんじゃないかな?

と、思うようになってきました。

 

「反応が怖い」

それは

コミュニケーションをとらない時だって

間接的でも同じことが生じるし

むしろ接していた方が通じやすい。

 

接してみないと、なにも始まらないし

わからない。

 

怖い時

上手い下手

良い悪いで見ていたんだな~と。

全部が成功体験な訳も無くて。

 

なんで、言われるのと自分が思うのが

違うんかなと思っていた

外側から見た(接客得意)私と、

内側から見る(接客苦手)私が

繋がった瞬間です。

 

先日、スマホの使い方で

対面講座を開いたのですが

受講者の方にも好評で

私自身もしっくりきた表現がありました。

 

伝え方をボールに例える

 

私たちは他人に何かを説明する時に

知ってもらおうと工夫する。

 

その時に言葉の紡ぎ方によって

ニュアンスが変わることがある。

 

ボールに例えると

投げる

渡す

置く

放置する

など。

 

そして

投げるにも色々あって

 

投げつける
ぶつける
当てる
見ながら投げる
見ないで投げる

などなど。

 

それに

相手は置いたつもり。

 

自分は投げつけられたと思う。

 

キャッチボールが

出来ない状況も。

 

これは

接客をしていると

私が販売者でお客様がいらっしゃる形。

たまに

ご自身の都合を

投げつけて来られることがあって

その都度

戸惑い
悲しみ
自分を責め
苦しんでしまう

そんなことが

20代の頃の経験でありました。

30代の頃までは繰り返し思い出して
トラウマの様になっていました。

相手はお客様だからね。

 

でもこれ

ずーっと抱えてるのは

「私サイド」なんです。

 

投げつけられたボールを

わざわざ拾って

大事に持ってる。

 

ボロボロになっても。

本当は要らないのに。

そして

投げつけられたものは

拾わなければ

受け取れていません。

 

受け取らない。それで良かった。

 

立場って、その時その時で

あると思います。

 

だけど

決まりきった中で

私たちの枠はこれだと選択するのは

あまりにも

難易度が高いことだと感じます。

 

だけど

ベースとなるのは

シンプルでフラットな

「人と人」

なのではないでしょうか。

 

私は

「ボールを置く」ことをイメージして

話しています。

 

キャッチボールが

出来ていませんが

それで良くて。

 

置いたボールを

相手の方が手に取って

 

「キャッチボールが好き?」と、聞く。

 

してみたいかどうか。

そこから始める様にしています。

 

好きだったらすれば良いし

気になればしてみたら良いし。

 

このボールのことを話した時は

 

接客業をしている私が

優しい問いかけに見せかけて

投げつけられた様な言葉を受けて

悲しかったけど

なんとも表現出来なかった

という経験から。

 

同じ様なことを言われていても

言葉で受け取り方が変わると知った

言葉がくっきり見えた瞬間でした。

 

例え私が販売者で

お相手がお客様だったとしても

丁寧な言葉に聞こえたとしても…

尊厳が保たれているかどうかは別の話。

 

これは大事なことだなと思いました。

要はそこに愛があるか 

 

悩みとは、

自身と向き合うことのきっかけ。

 

私のところにはヒントはあっても

答えはあなたの中だけ。

 

キャッチボールは

投げつけられるのでは受け取れない。

 

こうやって文章にすると

シンプルで当たり前の様ですが

 

日常の中に

こんなシーンが沢山あります。

 

投げつけられたボールを

わざわざ拾って

投げつけ返す…とかね。

 

我慢して投げ返さないんだよ

じゃなくてね

なんで投げられたのか

投げ返したいかどうか。

そこなんだよね。

怖くて隠す、とかね。

 

私は、とにかくボールを

横にそっと置いて

観察することにしています。

 

また、この表現もブログに書くことで

広がりをみせ

色んな色に変化していっている感じがして

面白いなぁと感じました。

 

顔が見えない

名前がわからない

そんな時でも

実は丸裸。

その人となりが見えています。

 

どうせなら

いいもん巡らせようや。

って思うんですよね。

日常でなんかしんどいこと

あったんかもだけど

丸見えですよ、ってね。

 

これは経験からなのか

敏感故なのか

でも、本来みんなが持っている

「エネルギー」や「周波数」で

感じてるだけなんじゃないかな。

 

私はいつでもオープンハート。

それで傷ついたこともあるけど

ずっとこのスタンスなのは

あーそういうことなんだね。

 

「はるちゃんのところには変な人が寄ってくる」

悪口だったのかほめとるのか知らんけど

言われてたことあったみたいで

それは

「変な人」って風に見てるからね。

ウケる。

あと、クレームね。

担当してたけど、

実際にクレームなのは極小数で

クレームという

目線で見てるからそうなる。

なんだこれ

めちゃくちゃ失礼じゃんね。

 

その先があったんだよ。

あの時出会ったその「変な人」?

クレーム言った人?クレーマー?

その時他の人たちには

そう見えたかもしれないけど

今もずっと大事な

友だちや仲間やお客さんですよ。

 

ファーストインプレッションがね

少し個性的なだけだったよ。

 

ボールをカーブかけて投げてたから

グローブが必要だったとか

そんな感じでした。

投げつけるのと似てた。

だけどよく見たら違った。

それは才能ね。

オープンハートだからこそ

そして

生まれながらの環境と経験から

「見抜けた」と思ったら

なんとも誇らしいことです⚾️☝️

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