身体が覚えている痛み

身体が覚えている痛み

 

またくる!と思ったら

かたくて冷たい身体になる

 

そうすると

余計に痛みが増す。

 

これを繰り返していることに気づいた時

どうしたら良いものかと

考えてみた☆

 

繋がっているのは…

怖いという気持ち。

 

大袈裟にいうと生命維持反応。

 

無事に生きるために

身体と心が自然と避けようとする。

 

これは

身体の傷だけではなくて

心の傷にも同じことが言えるのかも。

 

人と接する時

同調したり

自分を理解してもらおうとする。

 

恐れや不安

その全てを手放すことは

もしかしたら不可能なのかもしれない。

 

だけど

私が私を安心させることは

出来るかもしれないと思った。

 

不安な時に

自分に投げかけた「大丈夫」は

しばらくの間

大丈夫じゃなかった結果と結びつき

安心へ導く方法から外れた。

 

だけど

また少し経ったら

やっぱり「大丈夫」と声をかけることに。

 

身体のかたさや冷たさを感じて

静かに二の腕をさすっていたら

するっと出て来た「大丈夫」

 

あと

「いいよ、いいよ、よしよし」も

あった。

 

そりゃ痛いの嫌だと思うよねぇ。

繰り返してたんだもの。

忘れたつもりでも

覚えているのだから。

 

無理して忘れなくていい。

 

もう、緩んでいいよ。

誰かを大事に思うのと同じだけ

私も誰かに大事にして貰ってるし

何より私が、大事にしているのだから。

 

委ねたりすることは

時間がかかることなのかもしれないけど

時間がかかっても良いよ。

 

焦らなくても

急がなくても

良いタイミングが来るから。

 

でもそこにたどり着くまでに

焦ったり急いだり

ジャッジメントしてしまってもいい。

フラットなことにいつか気づくから。

 

この一年

通った歯医者で

一番の緊張の日が今日でした。

 

ミラクルが起きて

ここまで来たけれど

やっぱり怖さはあって。

 

なんとか今日を乗り越えることができて

ひと段落。

ホッとして今書いています。

 

食いしばりは

体重くらいの負荷がかかるんだよと

隣の患者さんと歯医者さんが話していて

人間のパワーの凄さに驚いた。

 

ジャッジメントは

自分と自分。

 

耳にした私は

しんどかった食いしばりから

解放されつつあって

ありがとうと心の中でつぶやいた。

 

今日の緊張で

しばらく身体は痛むだろうけど

終わりが見えてきた☆

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