比べるとか比べないとか

これは

前も話したかもしれないけど

それだけ

私の中で印象が強いんだと思うから

気持ちそのままに書いていく。

 

私は

子どものころから

スポーツや勉強の順位について

父に教わっていた。

 

父から教わったことは

私にしっくり来たので

採用していたが

周りの反応は厳しかった。

 

父の説明は

伝わりにくいので

例え話で。

 

マラソンをして

5位までは入賞するとする。

 

で、6位になって

入賞出来なかったのは

5位までの人が居たから?

 

じゃないよね、、、

 

もっと練習しておけばよかったとか

そんな感じ。

 

逆に、もし2位になれたとしたら

それは

他の人を負かしたから?

 

ではないよね、、、

 

父が言ってたのは

まず、そのマラソンならマラソンを

存分に楽しむこと。

 

ちなみに

2位になって悔しがった時は

2位は負けたんじゃなくて

次に1位になる

チャンスがある順位だと言ってた。

 

ライバルは

悪い意味の敵ではなくて

自分の力以上に力を引き出す

刺激だということ。

 

本当に打ち勝つのは自分の

行いや整え方であって

対戦相手ではない。

 

メンタルが弱くて

辛かった時に

こんなことも言っていた。

 

100人が反対していて

1人になっても全力で味方をする。と

友だちが言ってくれたんだと。

(みんなと仲良く、、、と教わったのに叶わなくて苦しんでた私に友だちとはどんな人のことか父なりの答えを教えてくれた)

 

その時の私には

現状に結びつけることが

出来なかったけれど

 

その後の私に

大きな影響を与えた言葉だった。

 

父が74、私が47になって

むちゃくちゃ腑に落ちている。

 

子どもの頃にかけてもらった

言葉のお礼を今言えるのも

ありがたいこと。

 

お互いが生きているうちに

伝えられて良かった。

 

で、タイトルの

比べるとか比べないとか

なんだけど

 

比べるって

なんていうか

良い作用みたいなものだと

ずーっと思ってたから

 

例えば大人になって

結婚したら

片方の実家ばかりが良くしてくれて

相手の実家はなにもしてくれないとか

またはその逆だとか

そういうやりとりが非常に

めんどくさく感じた。

 

平等とは

まず平等ではないことを指している

要するにフラットにするよりも

振り切ってみた方が

実は平等なんて

求める方が難しいことに気付けるという。

これが結果

比べてみることなわけで。

 

他に上下関係とか

悪いことばかりではなくて

上が下を守るためでもあったこと。

 

意識自体が

既に差別だという見解もあるけど

分かち合うためのものもあるわけで。

 

分かち合うって

分けるって書くよね

既にあるものを分ける。

 

既にある比べることを

やめるのではなくて

比べ方を変えるだけで

随分楽になるのかも。

 

私は

父から教わっていて

すごく良かったと思っている。

 

確かに、理解されず

厳しかった場面もあった。

 

ライバルと楽しもうとしたけど

相手はバチバチの敵対心だったりね。

 

だけど

私は、楽しむことに

集中出来たから

教わったことの

答え合わせを

ずーっとやってきたよ。

 

仕事でも

ライバルが居たから

自分のやる気が出た。

というか

自分が思ってる以上の力が出せた。

 

いつだって

私は私を超えるかどうかが

一番重要視しているところ。

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