私はよく看護師さんと間違われるんだけど
よく考えたらそりゃそうかも、、、と思った。
心臓病、糖尿病、喘息持ちの祖父の姉が私の子守りをしてくれていた人で
弟は子どもの頃に難病を発症して
10代後半、20代前半で出産した我が子たちは出生時に原因不明の発熱や
呼吸不全により仮死になった。
大きく影響しているのはこの3つの体験と
私の感覚過敏が相まって起きている気がする。
そばに居ると
自然にサポートできることが
沢山あったから。
私の弟は
妻子がいてごく普通の会社員として働いている。
今は。見た目は。
だけど
小4の頃に難病を発症して
生死を彷徨い
約1年の治療入院期間を経て
合う薬が見つかったおかげで
今は通常の生活が出来ている。
あの時見た
相部屋の病室の風景は
忘れられない。
広島で一番大きい病院の小児科
入院しているのは
自分とそう変わらない子どもたちなんだけど
本来であれば
学校に行けている子たちが
病と向き合っていて
しんどい時間があったり
時には、昨日まで一緒に居た子の姿がないことも。
その時のお母さんたちの表情。
子どもたちの無言の雰囲気。
毎日父と二人
仕事が終わったら
祖母が作った母のご飯を
片道1時間の道のりを車で届けた。
ドタバタ出かけて
暗くて長い病院の廊下を歩いて
異次元のような病室に
病床の弟と、付き添う母のもとへ行って
小一時間くらいを弟と母と父と
病室のみんなと過ごして
また1時間の道のりを普段は取り合う助手席に
当たり前のように座って帰路につく。
いわゆる
病児の家族。兄弟。
あの頃はそこまで注目されていなかったように思うけど
あの時、自分の精神を保つために
わざと無邪気に子どもらしくふるまっていたこともあった。
原因はそれだけではなかっただろうけど
私もしんどかった。けど、そんなこと言えない雰囲気だったから
無邪気に過ごす時間を作ることで
バランスを取ることを図ったんだと思う。
何とも言えない気持ち。
命を大事に。大事にしたくても、終わってしまう人もいる
だから自分の命を大事に、、、大事にってどうやるんだろう。
寄り添う
待つ
見守る
相手をサポートすることを習得した。
その半面
それを自分に置き換えるほどの余裕はなかった。
弟の病状が落ち着いたころに
私は、命を「試す」ように
無謀な生き方
難しいほうへ、自ら選んで歩んでいった。
人のキモチには寄り添えるのに
自分にはどこかなげやりで
完全に見失った状態で
目をつぶって全力疾走しているようなものだった。
人のことは見えて
自分のことは見えないまま。
こんな感じだったから
看護師さんと間違われるのは
あんまりうれしくなかった。
今でいう、ヤングケアラーだったんだね。