夫の方のご先祖

先々月だったか

急に頭に浮かんだので

娘と一緒に

元夫の父方のご先祖の

お墓参りに行ってきた。

 

子を授かるというのは

父方のご先祖が

関わっているのだそう。

 

まあ、ほんとそうかもしれん。

めちゃ理にかなってると思った。

 

ところで

私は娘を授かる一年前の

17歳の時

産婦人科の先生から

「このままでは将来妊娠出産は望めない」

と、宣告された。

 

奇跡的に妊娠出来たものの

娘は生まれてすぐ

原因不明の病気

 

2人目不妊も経験したあと

また奇跡の自然妊娠

(授かることそのものが奇跡とも思う)

 

第二子に至っては

仮死で生まれてきたので

随分と手助けをしてもらった。

 

先祖にも、家族にも。

だからいつでも思い立ったら

ありがとうを伝える。

 

先祖のこと

調べていくうちに

だんだん自分が

癒されていくのがわかった。

 

最初が、自分の父方だったのも

今ならなんとなく理由がわかる。

(自分がわかればいいやつね)

 

そして

元々だいぶ遡れる母方も

不解明な部分が見つかったりしつつ

 

現夫の父が他界したことで

夫側の先祖をたどり

 

そのあとふと浮かんだのが

元夫の父方だった。

 

実は、、、

私と名前が同じで

私が生まれる前に他界された

夫の父方の祖母が眠るお墓。

 

さすがにもう

本家に伺って

お仏壇参りまでは気が引ける

(長男(元夫)の嫁業は

現在のお嫁さんがされているだろう)

 

娘は実父や祖母と一緒に

たまに墓参りに行く様だ。

 

母がしていたことを

しっかり覚えてくれていて

そういうことは面倒くさがらず

行動してくれるのがありがたい。

 

ただ、夢中になると

自分を後回しにしてしまうところだけが

玉に瑕かなと。

 

夫の両親って敬遠されがちだけれど

その血は

子どもたちがしっかり受け継いでいるから

 

近い、生きてる先祖(両親)のことを

あれこれどうのこうの思うのは

まぁ致し方ないとしても

 

それは

接することが出来るからこそだし

夫を選んだ理由はともかくご縁なわけで。

 

先祖なくしては

彼はおらず

私も然り

子も然りなことを

忘れてはいけない。

 

あたたかく接すると

誰がラクかって自分がラクで

反発心や疑念を持てば

それが返ってくるというのが

ただただ現実として表れる。

 

元お姑さんが

「孫くん、息子に似とるけぇ

治代さん嫌じゃろうね」と

言っていたそう。

 

私は、肉体と経済的DVを受けたけど

夫の魂まで憎むほど

嫌いで別れたわけではないから

「何言ってんだ?」だった。

 

子どもって鼻と口は

夫に似る傾向にある気がしていて

統計をとってみたいと思ったことがある。

 

DNAってすごいし

脈々と続く血も

人間の身体の仕組みも

すんごいなと思ってるから

 

子どもが誰に似ていても

私から生まれたことには変わりないし

 

もっと言えば

血のつながりがなくても

縁のつながりでシンクロしている

夫の子どもたちも尊い存在。

 

「それは綺麗事だ」

「孫は血が繋がってるけどあんたは他人」

そう言われたこともある。

 

私は、そうは思わない。

構築の方法と思い方だと。

可能性を見るか見ないかなだけ。

 

もっともっと言えば

そこら辺ですれ違った人や

品のない言葉を投げかけてくる

元お姑さんだって

誰もが父と母から生まれ

続く血の中のひとり。

私にとってはご縁のある人だ。

 

言葉の暴力は

私も暴言で参戦したことが

あると思う。笑

 

言われたことばかり

覚えてるのはズルい脳だなぁと

思うけど

生きるための術なんだろうね。

 

げぇーと思うなにかは

その人だけのものではない

脈々と続く血が持った

「悲痛の叫び」の様なものもあるから

 

これを避けたところで

また違う形でやってくるだけ。

 

深い悲しみを癒すターンが

やってきたと思うと

チャンスでしかない。

 

黒いものは

生きている限り無くならないと

私は思うし

 

それをいかに小さく薄く軽くするかが

人生そのもの

人間に生まれた意味なのではないかとすら

思っている。

 

人間くさく生きようぜ☆

 

 

 

 

 

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