Empathy「魔法使いと呼ばれて」感じるチカラ

私はいつも生きづらさを感じていた。

幼少期に自ら封印したはずの感じるチカラが時々顔を出し

色んなものが見えすぎたり聞こえすぎたりするものだから

どこにも逃げ隠れ出来なくてほとほと疲れていた。

「言葉と本心のズレ」

「空気の流れと逆行していく行動」

「見えている情報とは異なる真実」

不確かなものだらけの

私の拙い言葉では表せない

不思議だけど確信的な出来事。

ズレや違和感を、怒りや反発心でしか表現出来なかった思春期は

音楽を聴いたり詩を読んだりすることで救われた。

体調はいつも優れず

心は不安や不満に包まれていつも悔しくて悲しかった。

そんな私に

転機が訪れたのは30代の頃。

助けとなったのはなんとあれだけ邪魔だと思っていた感じるチカラだった。

「私はオカシイ人」

社会に馴染めない私を自分でそう思って

本当の気持ちを隠して生きてきた。

だから生きづらかったし

悲しくて苦しかった。

「私らしさを出しても良い」

自分に許可をして少しずつ出せる様になった。

もしかしたらそれが良かったのかも。思い通りに表現をしたし、徐々に振り回されることが無くなってきた。

「全てはエネルギー。人も物も植物も」

「霊はね、恐ろしいものばかりではなくて普通にそこら辺に居るんだよ」

「見える人がエラい訳じゃなくて大半は気づかない。気づけば戸惑ってる」

「本当は誰もが持っている感じる力」

同時に、あぁ、こういうことか!と思うことが増え

益々、ラクに過ごせる様になって来ました。

「そこは行きたくない」

「今日はその日じゃない」

逆に唐突に来る

「今日しかない」

「あ、こっちだ」

小さなエネルギーの振動から感じ取ること。

その感覚を無視して動こうとしていた時は

本当に、本当に、本当に、難しくて重たくて動き辛かった。

だいたいがいつの間にか備わっていた「世間体」を気にした行動だった。

私はよく「常識的な人」と見られることがある。

だけどそれは、努力して習得したものだ。

私からしたら、びっくり!努力の成果としてはありがたいこと。

この三次元で生きていくには、そこら辺もある程度は必要なんだけど、使いすぎていた様だ。

エンパス。

それは、元々みんなが持っていたもの。

私はたまたま封印することなく生まれてきたのに

人間界では、この世では、三次元では必要がないからと封印しようとしたものの

結局、封印しきれずにいて思ったこと

「あってよかった」

感じるチカラはエンパスとも言われてるし、超感覚とか直感力とか色んな言葉があるけど

別に特別なものではないと思う。

思い出して使い始めるとなによりラクです。そして、自由自在に。

自分らしくとかいうのも、全部ヒントだと思う。

複雑に封印している場合もあるので少しずつ紐解いていく必要がある場合もあるかも。

身体の皮膚感覚から始めて行くと、わかりやすいかもしれません。

 

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